私はかつて、誰もが羨むような大手企業でバリバリと働くキャリアウーマンを自負していました。しかし、その一方で、私のプライベートな空間であるマンションの一室は、いつの間にか軽度なゴミ屋敷へと変貌を遂げていました。きっかけは、大規模なプロジェクトの責任者に任命され、深夜帰宅が当たり前になったことでした。最初は、脱いだ服を椅子にかける、コンビニで買ったお弁当の空き箱を机の端に置く、といった些細なことから始まりました。疲労困憊で帰宅した私にとって、それらを適切に処理する数分間を捻出することさえ、途方もなく重い労働に感じられたのです。一週間が経ち、二週間が経つ頃には、床には雑誌やチラシが散乱し、クローゼットに収まりきらない衣類が山のようになっていきました。それでも、私は「仕事が落ち着いたら一気に片付ければいい」と自分に言い聞かせ、周囲には整った身なりをして外出することで、内側のカオスを隠し続けていました。しかし、ある休日の朝、ふと鏡を見たときに、ゴミの山の間で縮こまって眠っていた自分の姿が、あまりにも惨めに思えて涙が止まらなくなりました。それは単に部屋が汚いということへの悲しみではなく、自分自身の生活をコントロールできていないことへの絶望感でした。軽度なゴミ屋敷の状態は、他人の目にはそれほど深刻に見えないかもしれませんが、当人にとっては、その一つ一つのゴミが「自分の失敗」を突きつけてくる重石のような存在になります。私は意を決して、次の三日間の休みをすべて片付けに充てることにしました。まずは床が見えるまでゴミを袋に詰め、溜まっていた郵便物を一枚ずつ仕分ける作業から始めました。作業を進めるうちに、私は自分がなぜこれほどまでに物を溜め込んでいたのかを理解しました。それは、仕事のストレスによる不安を、物を買うことや所有することで無意識に埋めようとしていたのです。ゴミを捨てるたびに、心の中にあった澱のようなものも一緒に削ぎ落とされていくような感覚がありました。三日後、再びフローリングが見え、窓を開けて風を通したとき、私はようやく本当の意味で「自分の人生」を取り戻したのだと実感しました。軽度なゴミ屋敷は、私にとって心身の限界を知らせる警笛でした。今では、どんなに忙しくても、一日の終わりに床に何もない状態を確認してから眠るようにしています。部屋を整えることは、自分自身を大切にすることそのものなのだと、あの暗いカオスの中で学んだのです。