私たちの仕事場は、時に過酷な感覚的刺激に満ちています。真夏の閉め切ったゴミ屋敷で、鼻を刺すようなアンモニア臭や腐敗臭に包まれながら、汗だくで作業を続ける毎日は、決して華やかなものではありません。しかし、その強烈な匂いの向こう側に、一人の人間の叫びが隠れていることを、私たちは知っています。ある現場では、何年も前から溜め込まれた食品の山から液状化した何かが流れ出し、床を黒く染めていました。その中で、利用者の高齢男性は、ただ黙ってテレビを見つめていました。彼にとって、その異臭は日常の一部であり、自分自身を社会から守るための透明なバリアのようなものでした。私たちはまず、その空間に身を置くことから始めました。匂いに顔をしかめることなく、当たり前のように隣に座り、お茶を飲む。その行為自体が、「あなたは拒絶されるべき存在ではない」という強力なメッセージになります。作業を進める中で、山積みのゴミの下から一枚の古い写真が見つかりました。それは彼が若かりし頃、家族と笑顔で写っているものでした。彼がその写真を手にした瞬間、それまで無表情だった顔が歪み、大粒の涙がこぼれました。ゴミに埋もれていたのは、輝いていた時代の記憶と、それを失った深い悲しみだったのです。それから、彼は少しずつ自分の過去を語り始めました。ゴミを捨てることは、その悲しみに向き合うことでもありました。異臭と戦いながら、私たちは彼の心の重荷も一緒に運び出しているのだと感じました。清掃が終わった日、部屋には窓から新しい風が吹き込み、彼が自分で淹れたおコーヒーの香りが漂いました。あの強烈な異臭が消えたあとの爽やかな香りは、何物にも代えがたい達成感を与えてくれました。ゴミ屋敷の仕事は、五感を酷使する仕事ですが、それ以上に心を震わせる瞬間に出会える仕事でもあります。不衛生な環境、重労働、そして複雑な人間模様。それら全てを引き受けて、なお目の前の利用者の笑顔のために全力を尽くす。この過酷な日々の中にこそ、福祉の本質が宿っているのだと私は日々実感しています。異臭の中で心を通わせた時間は、私にとっての宝物であり、明日もまたその扉を開ける勇気を与えてくれます。ゴミ屋敷を片付けるという行為は、ただ部屋を綺麗にすることではなく、冷え切った人生に温かな光を灯す、尊い儀式のようなものなのかもしれません。
異臭と戦いながら心を通わせる訪問介護の日々