私がこれまでの経験で最も過酷だと感じた現場は、床が見えないほど生ゴミで埋め尽くされたワンルームマンションの一室でした。ドアを開けた瞬間に鼻を突く、あの甘ったるく、それでいて胃の底を掻きむしるような腐敗臭は、防護マスクを突き抜けて脳を直接攻撃してくるかのようでした。足を踏み出すたびに「カサカサ」と鳴る音は、ゴミを踏み潰しているのではなく、その下に潜む無数の害虫たちが逃げ惑う音であることを悟ったとき、背中に冷たい汗が流れたのを今でも覚えています。部屋の住人は仕事のストレスからセルフネグレクトに陥り、コンビニで買った弁当を食べてはそのまま足元に捨てる生活を数年も続けていたそうです。積み重なったゴミの層は、下に行くほど水分を吸ってドロドロの泥土のようになっており、そこから発生するガスによってプラスチック容器が変形していることさえありました。この作業において最も困難なのは、見た目の惨状よりも、その「質感」にあります。発酵して熱を帯びた生ゴミの山は、触れるとじっとりと湿っており、重く、そして信じられないほどの粘り気を持っています。私たちは、それらを一つひとつ手作業で拾い上げ、袋に詰めていかなければなりません。機械的に作業を進めなければ精神が持ちませんが、時折ゴミの間から見える写真や手紙といった、かつてそこに「生活」があったことを示す断片を見つけるたび、胸が締め付けられます。生ゴミの片付けは、ただの廃棄物処理ではなく、その人が自分を大切にすることをやめてしまった時間の重みを、私たちが代わりに肩代わりする作業なのだと感じます。作業を終え、最後の一袋を運び出した後の部屋は、静まり返り、壁には腐敗液のシミが痛々しく残っていましたが、窓を全開にして新しい空気を入れた瞬間、ようやくこの部屋が「再生」に向けて動き出したのだと実感できました。ゴミ屋敷、特に生ゴミが主役の現場は、人間の孤独が物理的な形を成した場所と言えるかもしれません。私たちは掃除のプロとして、その孤独を丁寧に取り除き、再び人間らしい生活が送れる場へと戻すことに誇りを持っています。